「私が雪だった日」

3月1日、本日のお題は「私が雪だった日」

天地真理さんの楽曲をご紹介して参りました、このつたないブログも、いよいよ最後の楽曲までたどり着きました。

途中、たくさんの名曲を端折って参りましたが、それでも語り尽くせない名曲の多さに驚かされるスリーピーでした。何時ぞや、彼女の楽曲の総数を数えたことがございましたが、LPとしてリリースされた曲が、ざっと170曲位ありました。「真理ちゃんシリーズ」で制作された曲や、未発表の曲を含めると、恐らく300は越えるのではないかとすら思います。名だたる作詞家、作曲家によって生み出された曲は言うまでもなく、カバー曲までも、彼女は丁寧に淡々と歌い上げ、聴く人の心に語りかけておいででした。天地真理さんは、優れた歌手なんだと、改めて実感させられた、スリーピーです。

さて、郷愁が漂う前置きが長過ぎましたが、本題の「私が雪だった日」に戻ります。

この曲は1983年2月に発売された、真理さんの事実上、最後の曲です。この曲は最近まで余り知られることもなく、愛好家だけが静かに聴いて楽しんで来られた曲でしたが、2月に入って心ある方によって、Youtube にアップされ、皆さんの目に耳に触れるようになりました。この件に関しても、私はYoutube の偉大さに関心するところです。

それではお聴き下さい。出典は、CBRSZ750さん。想足BBSでの仲間のお一人です。





さて、この曲は1980年9月に「初恋のニコラ」を発表後、約2年間の休止をし、再び再起を果たされて発表なさった曲ですね。一度の休止に加えて、二度も休止をされて、その間の心持はいか様であったろうかと、お察し致します。恐らく、歌手としては、もはや認めてもらえない自分に歯がゆさを感じ、また嘗ては「真理ちゃん、真理ちゃん」と自分を持てはやしてきたファンが、今ではソッポを向いて誰も振り返ってくれない現実を、情けないやら、悔しいやら、やりきれない思いであったろうと、約30年経った今、私は真理さんの立場になって、想像してみました。

彼女は売れっ子であったころ、所属の音楽事務所は、莫大な費用を掛けて、著名な音楽家を擁立して、楽曲つくりに明け暮れ、僅か3ヶ月足らずで次の新曲がでるという、回転の速さ、巧みさでしたが、いざ、そのブームが去ってしまえば、お金にならない唯の女歌手として、誰も相手にしない、そんな競争の激しい業界ではありました。

そんな彼女を評して、時代の犠牲者とも、後に続くアイドル達に良い教訓を与えた人、などとも評されております。そんな彼女を想う時、彼女の人柄を知っていればこそ、愛しくてならないのです。

サービス精神旺盛な彼女は、1971年にデビューしてから、1976年付近まで、燃えに燃えて燃え尽きたように思います。
一方、私も、彼女を忘れて過ごした約35年のブランクを取り返すべく、猛烈に走って参りました。このブログができたのが、昨年の12月20日ですので、今日で僅か2ヶ月と少し。勢い余って、大阪にまで出かけることになりましたが、非常に大きな収穫を得ることができました。真理さんを影で支える人たちの活躍を知り、嬉しくもなりましたし、お陰さまで私も仲間に入れていただき、仲間意識に満ちた楽しいひと時を過ごすことができました。真理さんを支える活動に終わりはないと思いますし、今後も携わって参ることをここに誓います。

誓いを立てたのを機に、突然ですが、このブログを休止にしたいと思います。真理さんが2度に渡って、活動を休止して、充電を図ったように、私も少し充電が必要なのです。このブログ執筆を通して見えてきた自分の無知、音楽というものの素晴らしさ難しさ、ブログというものの難しさ、そして、一人の歌手を守り応援することの難しさ、等々を少し時間を掛けて、考えてみたいと思います。

短い期間ではありましたが、このブログをお引き立ていただいた方々に、心より御礼申し上げまして、終わりの挨拶とさせていただきます。有難うございました。

平成22年3月1日 スリーピー

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