(番外編)愛・つづれ織り

4月16日、本日のお題は、「(番外編)愛・つづれ織り



アルバム単位でご紹介する、真理さんの一曲一曲。

今、アルバム「童話作家」+αである、彼女のプレミアムボックスの中の[Disc10]を、ご紹介しています。


box.jpg
上記は、プレミアムボックス全貌です。


この[Disc10]は、(童話作家+α)という名前がつけられています。その構成は次の通りです。


1 童話作家
2 出不精のピーターパン
3 返信
4 ひこうき雲
5 二月の風景画
6 風花のさよなら
7 童話作家
8 夢ほのぼの
9 矢車草
10 愛がほしい
11 海辺まで10マイル
12 一杯のレモンティー
13 愛の渚

14 ひとかかえの愛(スペシャル・シングル「夏を忘れた海」B)
15 旅人は風の国へ(シングル「愛・つづれ織り」B)
16 不器用な女(シングル「初恋のニコラ」B)
17 今は想い出(シングル「私が雪だった日」B)
18 クラス会(未発表)
19 ひとりじゃないの(歌詩違い)
20 夏を忘れた海(セリフ入り)
21 あなたと私(おしゃべり)
22 バッハ・インベンション(ピアノ・ソロ)
(夏を忘れた海~天地真理のページより抜粋)



本日のご紹介は、15番目の「旅人は風の国へ」がB面に対し、A面に収録されている「愛・つづれ織り」です。番号リストにありませんので、番外編とさせていただきます。


この曲は、真理さんが、1979年12月に、約3年ぶりに歌手として再起された時のいわば再デビュー曲ですね。

真理さんが1977年1月から、休業に入られてから、復帰される1979年12月までの間、真理さんがどのような生活をされていたかについては、当時の資料をいろいろな方からいただきました。その量は少ないながら、この真理さんの応援ブログとしての一定の結論を出したいと考え、以下のように時系列的に箇条書きにまとめた上で、私の理解を記してみたいと思います。




真理さんの病状を伝える参考資料

「1977年1月9日、別府杉の井ホテルでのショー、司会者が語りかけても答えようとしない。」

「1977年1月11日、文化放送ダイナミックレーダーに出演した天地真理は明らかに異常」

「1977年1月13日、東海ラジオ東海ハイウェイに出演した天地真理の異常は、もはやおおうべくもなく」

この直後、ナベプロの渡辺美佐副社長の指示により、入院。 その約1ヶ月後に退院。

「1977年11月、埼玉県の山寺に20日間、こもる」

「1978年2月、一時好転した彼女の病状が再び悪化」「東京渋谷、青山通りのスナックにひとりでやって来て、誰と話すでもなく淋しく過ごしていた」

「復帰会見が活動再開前の1979年6月7日に行われました。その際、休止期間中にどのようにすごされたのかについて、その片鱗をうかがわせる発言をされています。

  「学生時代の延長みたいな、映画へ行ったりとか、コンサートへ行ったりとか、買い物に行ったりとか、美容院行ったりとか、それに水彩画をかいたり、京都に独り旅もしました。ごく平凡な生活をしていましたよ。」

  「……(テレビを観るとき)洋画劇場と歌番組のどっちがいいかといえば、洋画劇場を見ましたね。でも、焦りを感じたということではないんですよ。昔の私もそうだったけれど、みなさん、がんばってるなって感じだけで。」

  「私、ずうっと〔東京音楽学院で〕レッスンを受けていたんです。そんな時とか、街を歩いていて、「天地真理さんですネ」と、ファンの方に声をかけられた時なんか、あ、私には歌しかないな、とすごく思いましたネ。」

  「今は50キロ弱になりました。ここまで落とすのに、ずいぶん時間がかかったワ。ケーキを食べないようにしたり、ゴハンを食べないようにするとか、それにダンスで汗を流したり……」

「1978年9月から復帰準備を開始された真理さんの所属は、渡辺ワークショップで、渡辺プロの傘下事務所です」



森田公一さんの弁

「彼女は自分の意思で動くのでは無く、人形みたいな自分に嫌気がさし、不満をもっていたようだ。レコード1枚作るにもタレントの意見は入らない。これも不満の一つ。更に、当時のナベプロが求めていた天地像と本人が行きたがっていた方向にズレがあった。これは彼女の成長でもあったのだが。こうした意味で、天地真理は芸能企業群の敷いた路線を突っ走らされた犠牲者とも言える。確かにタレントは人間扱いされていない。3カ月に一度金の卵を産むニワトリ(レコードがヒットする歌手)かもしれぬ。生まなくなったらポイと捨てられる。当時は私もそう感じていたものです。」

当時真理さんのもっとも身近にいた人の一人であるCBSソニーの酒井政利プロデューサー(当時)さんは、

「世間のイメージが崩壊する以前に、天地真理自身が精神的に崩壊してしまった」と語っておいでです。




当ブログとしての見解

真理さんが、休業に追い込まれるに至った原因は、色々あるようですが、それを要約すれば、自分の望まない天地真理を演じさせられ、しかもハードに無理強いされたことにより、一種のサボタージュ現象が続き、その繰り返しが、うつ状態を招いた、という感じではないでしょうか?気が付いたら、精神的にかなり追い込まれた状態になっていても契約した仕事は断れないので、仕方なくこなす内に、うつ病に特有の自分でない自分を演じてしまう(無反応、発狂、わめき散らす、等々)、つまり、奇行ですね。

1976年暮れ辺りから、真理さんは「うつ状態」にあったものと思います。番組やショーへの出演中の異常な行動、等からすると、そのように思います。その異常な行動というものは、周りから見れば異常であるのですが、病気状態である本人からすればどうにもしようのないこと。

こんなことを申し上げる私スリーピーも「うつ病」の経験者です。私の場合は、完全に直るのに3年掛かりました。幸い、勤務する会社で何とか仕事を続けられましたので、周りから「異常」というレッテルを貼られずに済みましたが、あの当時は「人と話すことすら嫌がる」「常に下を向いて、うな垂れて歩いていた。そうしていないと辛かった」「職場に居る8時間余りを如何に耐え抜くかが、当時の私の目標」「家に帰れば、一切の明かりを消して、部屋にこもるのが常」「苦しくて苦しくて、死ぬことも本気で考える日々でした」「自分でも分からないうちに異常な行動(わめいたり、泣き叫んだり)がありました」「家族にも迷惑を掛けました」等々、人には言えない異常な状態でした。

そんな私からすれば、彼女の奇行は病気の表れであり、早く周りの人が気が付いて、静かに過ごせるように取り計らってあげるべきでした。でも現代でこそ、「うつ病」は市民権を得て来ておりますが、当時(昭和50年頃)では、恐らく認知されない異常な病気として扱われたのだと思います。でも真理さんは良く耐えた。死と向き合って、良く頑張ったね、と声を掛けてあげたい気持ちです。そんな苦悩を味わった彼女であれば、その後に訪れる苦労など、苦労の内に入らなかったことと思います。後のロマンポルノ出演にしても、ヘアヌード撮影にしても、世間はとやかく言いましたが、うつ病克服という大きな経験をされた真理さんにとってみれば、取るに足らないものであったことでしょう。



そんな真理さんの復帰を祝う、私スリーピーは、このブログを通して、高らかに彼女の復活をお祝いしたいのです。

30余年の時が経った今、遅まきながら、彼女の復帰を祝って、ここでワンマンショーをご披露したいと思います。それでは、参りましょう。



皆さま、よくお出でいただきました。今宵は、私の姉、天地真理の復帰を祝って、復帰コンサートをご披露致します。
短い時間ですが、お付き合いのほど、よろしくお願い致します。


まずお届けするのは、1979年10月に行われた、真理さんの復帰コンサートの一場面。飛んで跳ねる彼女と、その笑顔が、彼女の復帰を強く印象付けるものでしたね。

[1979年復帰コンサート]

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次は、「愛・つづれ織り」の録音風景と記者会見の様子。森田公一さんと共に会見に望まれました。

[愛・つづれ織り録音]

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そして、夜のヒットスタジオで「愛・つづれ織り」を歌う真理さんです。白い衣装で前へ前へ進み出しながら、歌いだす彼女の姿は実に美しいです。苦労を耐え抜いた女、天地真理の一世一代晴れ舞台とでも言いましょうか。

[愛・つづれ織り]

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そして、最後は、Young Oh Oh に出演して、「愛・つづれ織り」を歌う真理さん。この時、桂三枝さん(彼も若かった)の司会により、真理さんの復帰を盛大に祝う試みが行われました。渡された花束を抱えるのが苦しそうな真理さんです。

[Young Oh Oh 愛・つづれ織り]

 []





皆さま、真理さんの復帰コンサートは如何でしたでしょうか?

苦しかった約3年間の後に、歌手として晴れ晴れしく復帰した彼女でした。プロですから、売れてなんぼの世界ではありますが、私スリーピーは、そこまで頑張った彼女を褒めてあげたい、よく頑張ったと称えてあげたいのです。

この復帰は、彼女の人生にとって忘れることの出来ない一瞬だったでしょう。

おめでとう、真理さん!







さあ、このブログも次回は、16番「不器用な女」。「初恋のニコラ」のB面に話題を移します。どうぞ、お楽しみに!






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Re: トレンチコート きゅっとしぼって 行方知れずが 帰ってきたわ

ひこうき雲さま

お早うございます。

この度は、当時の資料をご提供いただき有難うございました。あなたからの資料に載っていた真理さんの写真から、これは鬱病だと直感しました。そうであれば、全ての現象が一本の線で繋がる。そうであれば、私が書かねばならない。これが出発点でした。

3年間という真理さんの空白の時間に、ファンの皆さまが少しでも近づいていただき、少しでも共有することができれば、スリーピーも執筆の甲斐があります。

まだまだ、真理さんに掛けられた疑念はたくさんあります。可能であれば、そちらにもメスを入れたいスリーピーです。時間が許せば。機会を与えられれば。この度は、有難うございました。

Re: 感激しました

春の風さま

昨夜いただいたご投稿に、今頃のご返事で済みません。

1976年から1979年までの空白期間の真理さんを少しでも皆さまに知っていただき、彼女に近づいていただきたい、そんな気持ちで取り組みました。出来栄えは如何にしても、多くを語らず胸にしまってしまう真理さんの心に、少しは近づけたかなと思います。それが達成できれば、私は満足です。

この件に限らず、色々とご面倒をお掛けしますが、今後ともよろしくお願い致します。

スリーピー

トレンチコート きゅっとしぼって 行方知れずが 帰ってきたわ

スリーピーさま

この頃の真理さんについて、私もほぼ同じように考えています。しかし私の場合それは推理の上でのことですが、スリーピーさんは当時の真理さんの心が誰よりもよくおわかりになれるのでしょうね。そして、その復活の喜びも。
当時私はこういう事実さえ知らないままにいたわけですが、スリーピーさんとともに、30年前にさかのぼって、「死なずに済んでよかったね」と心からねぎらいたい気持ちです。
これらの動画からはそういう真理さんの喜びと決意がひしひしと伝わってきます。

感激しました

こんばんは。
この度の4作品の動画ありがとうございます。
70年代後半の真理ちゃんて殆ど印象がなかったのですが
今回改めて拝見させて頂きとても感動しました。
スリーピー様がこんな貴重な映像をお持ちだったなんて
とても驚きました。
これからもドシドシ珍しい映像をU●されることを期待しております。

とろで私の今迄YouTubeにUPした真理ちゃんの動画を
一つを残して全て削除しました。
今回新たに「私が雪だった日」と「春の風が吹いていたら」を
one chorusで最U●しました。
宜しければこちらをお使いください。

スリーピーさま。

過去の経緯をコンパクトにまとめられる作業、時間が掛かったでしょう?順序立てて文章を組み、繋いでいくのは容易な事ではないから。このテーマが真理さんへの”ねぎらい”でまとめられていて、大変意義深いものになりましたね。shiolaboさまは独特のセンスがお有りで、大切なことを細やかに細やかに説明してくださるんですよね、フォローがお上手で。先生にだったらバンバン叱られてもいいわぁ(笑)

これからもお互いに精進あるのみですね!ん、私だけ ?? このブログでも、あのブログでも、あちらのブログでも、「恥」ー?・・ですナ^^。

Re: しばらく神妙にしています。

Shiolabo さま

ご投稿、有難うございます。

この度、皆さまよりいただいた資料に基いて、勝手に結論つけましたが、果たして全国に大勢いるファンの皆さまのご納得が得られるかどうか、正直心配です。

ドービー愛さん

あなたに小まめにコメントいただけるからこそ、張り合いがあるのです。
いつも、有難う、ね。

今回は、ひこうき雲さまにも、お世話になりました。愛さんからもよろしくお伝え下さい。

スパイスは必要です!

shiolaboさまへ

横から割り込んでごめんなさい。
えー、こんなに軽妙でいらっしゃるのに ?? 私はshiolaboさまのコメントと相性が良いのでしょうか、スーと軽やかになるんですよ(意味の解らない箇所は無意識に目に入っていないとか・・笑)。
しかも私にとっては、言語の世界において先生とお呼びすべき方です。
shi=詩
laboとはlaboratory=探究室・研究室
shioraboさま=詩の世界の探求人?? ダメダメ、違うわきっと(汗)
また先生は、私も気付いていない「潜在意識」なるものを五感で鋭く読み取っていらっしゃるのでしょうかー!! <裏伝言>探さなくては(笑)

そうですよねぇ・・・普通の神経であれば、今日のあの「空想」はあり得ませんものね^^; ところがどっこい、私は1ミリもヘコむどころか、先日させて頂いた対話を機にますます書くことが楽しくてなりません!もっともっと自分らしくあろうと張りきっているので、「おこごと」なんて心外です。どうぞ目を光らせていてくださいませ !! 私には^^。 冗談ですが。 実際そうではなく、スリーピーさまの今回の見事な記事をご覧になり、ほっと安堵しておられるというご心境なのでしょう・・。shioraboさまによる大変なご尽力と励ましがあったからこそ、スリーピーさまはあれほど難しいテーマに取り組み、そして完遂されたのですもの。 また時節柄たいへんご多忙である事と拝察いたします。誰もがそういう時期ですものね。「神妙に」などと言われず、多少なりともご休憩の余裕のあられる時は、どうぞピリリと引き締まるスパイスを、よろしくお願い申しあげます。  お読みいただき、ありがとうございました。         愛

しばらく神妙にしています。

スリーピー様
 始動前にちらっと覗きました。
 頑張りました。ようやく難関突破達成できましたね。
 苦難を歩む人生こそが、詩です。歌です。芸術そのものです。

 それから、愛さんへ
 愛さんから当方への<裏伝言>、ちゃんと読み解きましたよ。
 「決して嘘(lie)はないわ。すべて私なりの現実(reality)だけなの。」ってことですよね。当方の通称は shiolabo と表記しないと意味をなさないので。

 スリーピーさん、著作権をめぐってこれ以上頭を悩ますのは徒労ですよ。現行法での音楽著作権についての最大原則は、引用する場合でも「1小節」を超えれば権利を持つ側の許諾が必要ということになっているのです(実際、JASRACは血眼になって違法利用の摘発に奔走しています。)。しかし、こんな厳しい規定は、もはや現状には即しませんので、柔軟な法整備・運用が求められているのです。
 また、「私的利用」を免除する、という原則もあるのですが(おもに、個人で聴くためだけの無断録音についての免除)、その録音を不特定多数を相手に聴かせれば権利侵害とみなされます。ほとんどのHPで行われているのがこれに該当するのですが、もはや現状ではこの原則での法的規制は可能領域をはるかに超えています。
 法律というものは、利害関係調整のための社会的ルールなので、現実的要請と共に適宜改められていきます。一刻も早くネット社会にも充分即応できる法整備確立が期待されていますが、現在はその模索の途上にあります。
 スリーピーさんは、どうか鷹揚に構えて、良識をわきまえつつ真理さんの音楽活動広報路線を突っ走ればよろしいのではないでしょうか。もしも、なにかあっても即検挙などということは絶対にありえませんから。

 それから最後に。先日、当方の書くものを評されて「論文だ」との表現がありました。もしもそうだとしたら、不粋のきわみで、多くの読者からの「なにしちめんどくさいことをこねまわしてるんだよ。いい加減にして単純に楽しめよ。哀しいことがあっても分析なんかしてないで一緒に涙声で歎いたらいいじゃないか。」っていう声が今にも聞こえてきそうです。しかも、愛すべきマスコットにおこごとまでプレゼントしてしまいました。しばらく神妙にしています。

晴れ晴れと

天地真理さん、復帰おめでとうございます!ほんとうに心からそう思えまよね・・。
たいへん貴重な映像とともに、コンサートを満喫させていただきました。
生みの苦しみの末、渾身の記事を書かれたスリーピーさまにも拍手が届きますように・・・☆

ところで少しだけ、この歌について私なりに感じられることを書いてみていいですか 。
私は、この「愛・つづれ織り」は、「旅人は風の国へ」、と本当の意味で「対」といえる曲のようだと感じられるんですね、二曲を通してストーリーが展開していくのではないかなぁって。
真理さんが微笑みながら歌われたこの曲「愛・つづれ織り」は、歌詞を聴くと女性のせつない気持ちが込められているといえます。それはこんな感じかと・・・ 以下は私の個人的な感想です。

「やっぱり愛するのはあなただけ。あなたへの思いを書きとめたこの日記、それは感情の糸を一本一本織りなして作る、「愛」という名の『つづれ織り』かしらね。淋しい糸を織り上げていったら悲しみ色の模様があらわれたの。もう優しく包んではくれないの ? 悲しい糸をほどいてはくれないの ? 私は、あなたにほどいてほしかったのよ・・・。」 たいへん大ざっぱですが、こういうイメージが浮かんできます。このもの哀しさが、次の「旅人は風の国へ」ではふっきれて、晴れやかな心境が訪れたのかな、と。
空想遊びはこのへんで!
プロフィール

スリーピー

Author:スリーピー
真理さんを応援するブログへようこそ!

真理さんは、私の姉のよう。
私はそんな おっちょこちょいな姉を想う、おせっかいな弟かな。

このブログでは、皆さんと彼女の真価をお伝えして参ります。

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