クラス会

4月21日、本日のお題は「クラス会」



アルバム単位でご紹介する、真理さんの一曲一曲。

今、アルバム「童話作家」+αである、彼女のプレミアムボックスの中の[Disc10]を、ご紹介しています。


box.jpg
上記は、プレミアムボックス全貌です。


この[Disc10]は、(童話作家+α)という名前がつけられています。その構成は次の通りです。


1 童話作家
2 出不精のピーターパン
3 返信
4 ひこうき雲
5 二月の風景画
6 風花のさよなら
7 童話作家
8 夢ほのぼの
9 矢車草
10 愛がほしい
11 海辺まで10マイル
12 一杯のレモンティー
13 愛の渚

14 ひとかかえの愛(スペシャル・シングル「夏を忘れた海」B)
15 旅人は風の国へ(シングル「愛・つづれ織り」B)
16 不器用な女(シングル「初恋のニコラ」B)
17 今は想い出(シングル「私が雪だった日」B)
18 クラス会(未発表)
19 ひとりじゃないの(歌詩違い)
20 夏を忘れた海(セリフ入り)
21 あなたと私(おしゃべり)
22 バッハ・インベンション(ピアノ・ソロ)
(夏を忘れた海~天地真理のページより抜粋)


ご覧いただいてお分かりのように、1番から13番までは、アルバム「童話作家」とまったく同じ構成となっております。そして、14番から22番までが、このプレミアムボックス独自の構成です。





それでは、本日のご紹介は18番目の「クラス会」です。


去る3月28日に、一度ご紹介しましたが、せっかく[Disc10]に収録されていますので、もっと詳しくご紹介したいなと思い、再びの登場です。


プレミアムボックス付属のガイドブックによれば、この曲「クラス会」は[Disc10]の最大の目玉であり、山上路夫+森田公一のゴールデンコンビによる作品です。さらには、

「1975年早春、「愛のアルバム」と同じ日にレコーディングされたもので、シングル化を争った曲とみられる。それ以来30年以上もお蔵入りとなっていたが、今回、渡辺音楽出版の倉庫で偶然に発見された。まるで「天地真理 PREMIUM」のリリースに合わせたかのようなタイミングに関係者一同が顔を見合わせて驚いたという。テーマはなつかしい再会で、現実ともリンクする詩が何とも感動的である。あの頃の天地真理からファンのもとへと、時を越えて届いた最高のプレミアムプレゼントと言えよう」とあります。



作詩:橋本 淳
作曲:小林亜星
編曲:森岡賢一郎

ポストに一枚 手紙が届いたわ
これはクラス会の そうよ通知なの
あなたがくれたの 元気でいますかと
たった一言だけ それが気軽

 心の中が 懐かしさであふれそう
 あなたに会うの 何円ぶりかしら
 あの頃は さよならも云えず
 別れたのね 二人は

中学時代の あなたがよみがえる
今は大人になり 見違えるでしょう
今での英語が あなたは好きですか?
同じクラブ活動 二人してたの

 あなたに会うの 嬉しいけど怖いのよ
 涙がきっと にじみそうよ 私
 あの頃は さよならも云えず
 別れたのね 二人は

 過ぎたあの頃 思い出せばどれもみな
 やさしいことや きれいなことばかり
 あの頃は さよならも云えず
 別れたのね 二人は




それではお聴き下さい。出典は、スリーピー。ハーフバージョンです。





1975年といいますと、真理さんにとって、恋愛に想い悩むタイミングかと思われます。そんな心境が加味されたこの曲は、やはり情感のこもった出来上がりとなっていますね。


「あの頃は さよならも云えず 別れたのね 二人は」

中学時代となれば、まだまだ子供の時代。恋愛感情を相手に打ち明けるには、かなりの勇気とオマセな心が必要ですね。


「過ぎたあの頃 思い出せばどれもみな やさしいことや きれいなことばかり」

恋愛を重ねて、傷ついたり賢くなったり。中学時代は、そんなけがれの無い時代。全てが美しい想いでとして残っているんですね。男女とも、体が発育して、ただでさえ、心の発達が追いついて行かない、あのころ。私も、少しだけ思い当たるところがありますよ。懐かしいですね。

そんなことを考えながら、スリーピーはこの曲を聴かせていただいています。






次回は、「ひとりじゃないの(歌詞違い)」です。どうぞ、お楽しみに!








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Re: これも友情の証として。

愛さん shiolabo さま

わたくしからも

どうか楽な気持ちでこれからも意見を寄せてください。

一字訂正です

下から2段目の段落中5行目途中は「牽制」ではなく「警戒」の誤りです。トップページではすてきな記事がUPされていますね!今回個人的なレッスンにこの場をお借りできたこと感謝いたします。天地真理さんに出会えて幸せなことがいっぱいです!ありがとうございます~

表現の意義

早速コメントをチェックしてくださり、またお返事をありがとうございます。このペースで続けたら、ブログ乗っ取り犯になっちゃいそうですね(笑)。これにてホドホドにしなくては。

shiolaboさまのメッセージの特徴は、おおいに説得力がありながら、決して主観的ともいえず、沈着冷静に語られていますが、優しく温かみのある表現だなあ、という感じです(笑)。実に巧みな独特の技巧ですね、これは。対話の相手によって、表現方法を融通無碍に変化させていらっしゃるのでしょうね。

ところで、このたび頂戴したコメントの中にたいへん感銘を受けた記述があり、これは文章を書かれる方々にとって至高のアドバイスかと思われますので、書かせていただきますね。

「表現というものは表現者自身にとって楽しくなされなければ意味はありません。その表現内容そのものがたとえ苦渋を含んだものであったとしても。表現はすべからく魂の解放でなければなりませんから。ましてや、心にもない嘘八百の美辞麗句を書き連ねてはなんらの意義もありません。 」・・・書くという行為は「魂の解放」。ことばを相手に届ける事が同時に自らの解放をもたらすー。パッと目の覚める思いです!とても勉強になります。

 また、先程は短絡的にまとめてしまったのですが。、当時と現代の若者とでは、無気力という現象もその性質は大きく異なるものだといえるのでしょう。例えば「ひきこもり」とは、外部とのふれあいを極力避け自分だけの世界に浸る現象といえますが、その根底にあるものは、「自分がありのままに受け入れられる事などない」、という思い込みと、寂しさだと感じられるんですね。「ほんとうは言いたいことが山ほどあるんだ」、というやるせない思い、怒り、諦め。それは自分との葛藤の連続かも知れません。

 自然体である事がそれ程までにむずかしいと言えるわけですが、これは一つには、競争型社会の弊害が声高に叫ばれた結果、新たに生まれた「競い合いや人との衝突を避けることがベスト」という、事なかれ主義的な考え方がありますね。これによって子どもたちはケンカを避ける方向で育てられるようになり、その傾向が過剰だと成長後も人を牽制し、人との接触を避けることで摩擦や軋轢のない自分だけのスペースで自らを守る事を選んでいる人々が増えていったと考えられます。私たちは本当は、いい意味でのぶつかり合いや競争が必要なのであり、自分が鍛えられたり精神力が培われていく機会はそこにしかないと思われるのですが、それを一切排除することで強くなる機会が持てなかったために、自分を表現するすべを学べなかったこと。それで人の言動に過敏になり、過剰反応をしてしまう・・これは私自身が少し体験した事なのでわかる部分があるんですね。両親の考え方に納得できない時期があったので。かつての若者たちの環境とは異なりますね。

 深い孤独感を抱いている人々ほど、温かい絆を求めているのだと思われます。天地真理さんには、「ねえ、そうでしょう?」って可愛らしく語りかけるような歌もたくさんありますが、二人でやりとりをしているようなイメージを楽しみながら、歌に熱中している方々も多いかも知れません。わ!また長々と失礼いたしました。 記事を拝見に来たのでした^^; お読みいただき、ありがとうございます。     おやすみなさい。

これも友情の証として。

 愛さんへ
 夕刻の休み時間に拝見しています。
 ことばにならないことを強いて言葉にすることによって、思いが整理され表現力が培われるということがありますが、いまここでこれ以上求めても率直で虚飾のない文章は綴れそうもないでしょうから、いずれそのうちに、書かずにはいられなくなったときに拝見できればと思っています。
 詩歌の世界では<苦吟>というものを忌み嫌います。つまり、表出しにくいことを苦悶の表情を浮かべながら搾り出して、ごり押しで作品化しようとすることです。一番いけないのは、「苦しんで」の表出、であるということです。表現というものは表現者自身にとって楽しくなされなければ意味はありません。その表現内容そのものがたとえ苦渋を含んだものであったとしても。表現はすべからく魂の解放でなければなりませんから。ましてや、心にもない嘘八百の美辞麗句を書き連ねてはなんらの意義もありません。

 分析好きの年寄にほとほと参ったというご様子のあたりさわりのないほのめかし方といい、相手の無理な言い分をたくみにいなしながらも謙虚に徹して決して無作法にわたらないところといい、愛さんはなかなか老人の喜ばせかた(馭しかた)を心得ていますよ。

 しかしながら、このたび愛さんが分析された現代若者像って、果たして本当にそういったものなのでしょうか。70年代にはじめて「シラケる」という言葉が多用されるようになりました。そして、当時の若者たちは「シラケ世代」などと呼ばれていました。これは、現代の若者のもつ無気力状況とはかなり異なります。まずなによりも、引きこもるなどという選択肢は当時の若者の念頭にはまったくといっていいほどありませんでしたし、イジメなどもかなり大らかで、現代のようにどこまでも追い詰めて抹殺してしまうような異常なものではありませんでした。シラケながらもどことなくのんびりと開放的で、また、友達同士との連帯感もかなり強いものでした。現代は、当時に比較して孤独な若者(愛さんは幸いなことにそうではないみたいですけど)の数が多いですし、他者とどのように接すればよいのかわからなくなって自傷行為に走っています。現代は70年代とは比べものにならないくらい<病状>が進んでいるのです。先日の70年代論の記述では触れませんでしたが、当時の大きな社会問題として公害病の発生がありました。この問題は現代でもすっかり解決したわけではありませんが、以前ほど一般大衆が注目しなくなっています。その代わりに、大問題になっているのがやはり根深い精神病理でしょう。外的環境においての病理から、内面的病理へ時代は移り変わりました。

 経済狂乱のバブル期があり、そのつぎに<失われた10年>と呼ばれる空疎な世紀末があり、そして、この21世紀、戦争と共に幕を開けた21世紀、見せかけの政治改革という巧言令色ばかり躍って、若者たちは孤独に泣いて自らを傷つけています。当方ははっきり申しまして、現代のゆとりなき若者たちに真理さんの音楽が受け入れられるとはどうしても思えないのです。真理さんソングのほとんどは実際の恋愛そのものを歌いこめるというよりも、<恋に恋する>淡い想いをあれこれと心のなかでひとりはぐくんでいるようなイメージを当方はいだいていますが、現代の多くの若者たちにこういった淡い想いというものが通用するものかどうか、いささかいぶかしく思わずにはいられません。友達づくりも恋愛もスムーズにこなせない孤絶した現代の若者たちが求めるものは、もっとドギツイものなのではないかと、老人は頻りに考えます。

 ちょっとした刺戟でハッスルしてしまう愛さんには graphomania の「素質」が充分にありますね。何か書かずにはいられない人のことをそう呼ぶんです。通常、濫書狂、と訳します。当方などはさしづめ治癒不能の濫書狂の濫読狂です。

 どうか楽な気持ちでこれからも意見を寄せてください。(←自分の庭みたいな口調になっています。)

 

「自分らしく・・」の巻

鋭い・・。先生はすごい。しかも講座料なしでここまで書いてくださる事は奇跡です。スリーピーさまお幸せですね、善意のご協力によって強力にバックアップしていただいているのですから。

 一つのコメントをこのように読み取っていかれるのですね。まず相手に特定のキーワードを提示することから、文章の推理(探究)は始まっているわけですね。そこからパズルを解いていくかのように相手のコメントを整理・分析する。このプロセスとは、規定化された手順として専門分野において学ぶものでしょうか。それとも先生が独自に編み出していかれた方法なのでしょうか。ことばの探究を極め、このような解釈が瞬時に可能になるのは憧れです!

 さて本題に戻りますが、極めつけのひと言・・「それならばどうして愛さんがいままで歩んだ人生行路をこれぞと選び取った真理さんの音楽とが一連の脈絡として語られないのか」・・はい。ここですよね、鋭い^^; 早くも見抜かれているように、これをあえて伏せたのは、経験が具体的に言語で説明し辛いものであること、言葉を探し出す作業がさらに必要になるため、手抜きをしたというのが本当のところです。先生どうぞお手柔らかに。無料レッスンという事で今回はそこを汲んでくださり、言及の手を弛めていただけたら大変ありがたく存じます。

 かつての若い世代と現代の若い世代。先日当時の時代背景の要点を数回にわたりご説明くださいましたが、そのなかで真理さんがデビューされた頃の時代背景として、政治への失望感が漂い若者たちの多くが無力感を抱いていた、という意味合いの記述が印象深かったのですが、それはある意味で現在の世相に共通するものとも考えられる気がします。かつての若者たちの感性・価値観の方向性を実感として捉える事はもちろん容易ではないけれど、ここからは私自身の想像力を伴った文章になりますが、書いてみようと思います。

当時はフォークソングが隆盛を極めていた時代とも言えるのですね。参加させて頂いているブログでも幾つかの曲が紹介されていますが、その世界の美しさに驚きました。感銘を受けた曲の一つである、『空よ』(トワ・エ・モワ)。お二人のハーモニーが優しく限りなく純粋であり、シンプルでストレートな表現力に見事な調和を感じました。真理さんの歌で最初に味わった‘大きな安らぎに包まれる感覚’が湧きあがってきて。トワ・エ・モワさんは現在、若い世代にも広く支持されCDも新バージョンで次々に発表されていますね。そのことから私は、真理さんの歌の良さがインターネット世代の現代の若者たちに伝わらないはずはない、という見解を持っています。数十年という時間的な隔たりはあるわけですが、求めているものに一つの共通性があるように私なりには観じられます。若い世代へのピーアール法としてフルバージョンで製作された動画は効率性が高くたいへん有効だと思われます。

 またこれも個人的な想像に過ぎませんが、天地真理さんという方はその時代にあって、現代の若い世代にみられる傾向性、その感受性に極めて近いものを持っていらっしゃったのだな、と思えるんですね。正直で繊細な感覚ゆえに、計算づくめの芸能界においては苦しみも深かったことだろうと察せられ、そこに限りなく強い親近感を抱いているといえます。現代の若い世代は、真理さんの「真価」を部分的な何かを通してというより、その歌を聴くだけで瞬間的に見抜いてしまうというか、直観的にわかるのではないか、と私には感じられます。「この人どんな人?どんなところが好きなの?」こう問われることが苦手。「いいから、いいの、それだけ」これが本音です・・分析になじめないな私はですよ。若者が全て同じような傾向にあるわけではないので一つの考え方として受け取っていただければ幸いです。

 願わくば、天地真理さんの世界はずっときれいなものであってほしい。それが真理さんへの“最大の友情の証”(私なりに好む表現ですが)だから。そのための勇気ある努力は尊いものであり、共により良い方向性を開いていけるようにと、新参者のファンの一人として強く願っています。

 雑文になってしまい、shiolaboさまに提出することをためらいましたが、正直にありのままの気持ちを書かせて頂きました。重要なご業務の傍らでお時間をとってお読み頂けます事、大変光栄に存じます。私も来週、そして連休などであわただしくなりコメントがむずかしくなりそうなので、ひとまずここで区切らせて頂いて宜しいでしょうか。先生のレッスンによって書くことが楽しくてなりません !! 「良薬口に苦し」、この醍醐味を活かし、さらに成長しなくっちゃと張り切っています。ありがとうございました。みなさまお読みいただいて、ありがとうございます。        愛



問いを味わってね。

愛さんへ

 これから深夜業務に励むのですが、その前に愛さんの成果を通覧しています。(こちらの管理人さん、著作権ですっかり頭を悩ませて、それこそ「もの想う男」になってしまったのではないかといささか心配です。)

 当方は、愛さんが文章を書くお仕事をされているのだと思っています。もちろん、著述家であるということではなくて、なにかの報告書や宣伝に用いる文章や業務紹介などを書いたりすることが多いのではないでしょうか。しかも、終日パソコンを前にして。
 このたびのように短時間のうちに打てば響くように反応して、それなりの分量の充分読むに耐える文章を仕上げることができるということは、とても素晴らしいですし、若さゆえ(どのくらい若いのかまだはっきりとは見えてきていませんが)ということもあるでしょうが、現代的くだけ具合が活き、なおかつ均整のとれたきわめて読み心地のよい文章となっていると思います。

 「あらゆる愉楽を捨てて」いるわけではない、それどころか……とのことですが、当方が不思議に思っているのは、それならばどうして愛さんがいままで歩んだ人生行路と、これぞと選び取った(?)真理さんの音楽とが一連の脈絡として語られないのか、ということなのです。昨年8月たまたまはじめて歌声を耳にしてとの発端のようですが、まさに微細な点のような接触が導入の役割を果たし、それ以来急速に聴き惚れるようになっていったということなのでしょうか。
 愛さんはつね日ごろ頻りに<偶然はない>と記しています。それならば、なにか真理さんとの邂逅の伏線があるだと思いませんか。10代に夢中になったものは? とお尋ねしたのは、まさしくこの伏線となるものを知りたかったのです。芸能史研究上でもこれは確認しておきたいことです。まったくの点からではなく、線となるものがあったのではないかと推測しています。そしてこれは、これから真理さんをもり立ててゆくに際して、キイ(key)となる要素を含んでいます。多くの若者に真理さんの真価を知らしめるには、どういった琴線を刺戟すればよいのかを知る材料となります。

 まったく未知のものだから新鮮だった、という感想の背後になにか埋(うず)もれた秘密がないかどうか掘り下げてみてください。

 追伸 いままでの書き込み、累計すれば結構な分量となります。当方の知人が知ったら、原稿料も取れないものに夢中になって馬鹿じゃないのと苦笑されるでしょう。しかしながら、さまざまな反応がたちどころに見れることで、本業にも随分と得るところはあります。
 
 

減点だわ

今読み直してみると、HNである“愛”にまつわるエピソードがメインになり、お尋ねである「10代のころ夢中だったもの」については、うやむやになってますネー!これでいいのだっ(心の声^^)ありがとうございます。

第一章・文章を書く骨(こつ)とは

スパルタのshiolaboさま

 わ、やっぱりご覧になっていらしたのですね。公開レッスンだなんてコワイー^^;  はじめにひとつ。私はそこまで若くはないです、そこまでは(笑) それからもうひとつ。先生、「年寄り連中が・・・」これは少々言い過ぎかと・・(爆笑)マン・ツー・マンによる「公開レッスン」の場を設けていただけるなんて、私は何という果報者なのでしょう!レッスンルームになっている事、スリーピーさま発見されたかしら。ふつつか者の生徒ですが、ご教示の程よろしくお願い申し上げます。

 先生には私が‘あらゆる愉楽をかなぐり捨てて’いるように映りますか(笑)?まさにその通り、と言いたいところですが、実際は捨てるどころか、あまりにも多くに恵まれ過ぎていて、望むものは簡単に手に入れてきたような「甘ちゃん」であり、そのような点から私は‘恐いもの知らず’というか、人や物事を甘く見ている節があるかも知れません。花から花へ蜜を求めて飛び回るミツバチのように、実際もビュンビュン動き回っています!とにかくあらゆる方々とのコミュニケーションが好きです。また私は、届きそうでなかなか手が届かない・・そのような対象に心惹かれる傾向があり、天地真理さんに関しても、ひと言では表せないような個性、その多面性というものに不思議な魅力を感じています。

 真理さんの歌との最初の出逢いは昨年8月です。仕事上のことで精神的にナーバスの極みであった時期に、偶然開いたサイト「天地真理ものがたり」でたくさんの動画と共に真理さんの歌が紹介されていました。その中に見覚えのある題名があったので、聴いてみることに。「あの素晴らしい愛をもう一度」です。これが運命の出逢いに。「いのちかけてと・・・」真理さんの歌声が聞こえてきたとたん、溜まっていた涙が一気にあふれ出してきました。フルバージョンで聴き終える頃には、胸のつかえもスーっと消えていて驚くほど軽やかになっていました。その時、他のどのような音楽でも得られなかった感覚、「救われた」ような感覚を、初めて体験したことがきっかけです。それは古い歌のイメージとは全く異なり、瑞々しくピュアな響きでした。この体験から、天地真理さんの歌の世界を探求してみたくなり、現在に至っています。
 先生の視点で捉える天地真理さんとは、「戦後芸能史」『日本文化史上」重要な人物。 一方私の視点で捉える天地真理さんとは、「過去・現在・未来ーすべての時空を繋いで旬の輝きを放ち続けている」歌姫。つまり「歴史上の人物」ではなく「今も旬の輝きをたたえている人物」という認識を持っています。現在「動画」の是非が取りざたされていますが、過去形であったはずの歌手に、あらたな息吹きを吹き込むという点ですばらしい役割を果たしてきた事がわかります。

 申し訳ありませんが、ここで仕事に戻ります。今後きちんとレッスンをこなす余裕があるか不安です・・願わくば、忘れた頃に次なるレッスンを賜りますことを希望し、これにて初回のレポート提出とさせていただきます。ご多忙の中、最後までお読みいただき、ありがとうございました。      愛

レッスン開始。

愛さんへ

 おそらくスリーピーさんはもうお仕事に出かけたでしょうから、当方が代わってお答えします(現在当方、本日始動前の準備時間)。

 愛さんはこれ以上にないくらい飾らない率直な言葉だらけですよ。

 しかし、何の関係もない浮かんでくるままを書くのは禁物でしょう。少なくとも、読者を想定しているのなら、自分の言いたいことと、いま話題になっていることとをうまく関連づけて仕立てるのが文章を書く骨(こつ)です。つね日ごろから<偶然はない>との思いをいだいている愛さんなら、それは至極容易なことでしょう。

 ところで、愛さんはおいくつなんでしょうね。(「率直に」回答しないでじょうずに躱(かわ)してくださいよ。)
 愛さんが10代の頃夢中だったものは?(現在10代かもしれませんけど。)
 当方は、真理さんを戦後芸能史、いや、日本文化史上かなり重要な人物だと認識しています。(この言葉、だいぶ熱が冷めてるように響きますね。)
 お若い(であろう)愛さんが毎日のように真理さんファンサイトへせっせと訪問する情熱が、当方にはなんとも不思議で、まるで他のあらゆる楽しみを排して往年の真理さんと一直線につながろうとしているかのようです。年寄り連中が若い頃を懐かしんで想い出に耽っているのは充分に理解できるのですが、愛さんのような若者(?)が、あらゆる愉楽をかなぐり捨てて(?)真理さんに惚れ込んでいるのは、当方のような柔軟性のない者にはいささか不可解ではあります。
 
 さあ、文章レッスンのはじまりですよ。
 

ことばは芸術  ??

これはぜったい、shiolaboさまは見て見ぬフリをおねがいいたします(笑)
久しぶりに、今浮かんできたよシリーズですー !!

「 飾らない 率直なことばのなかに 芸術の真髄が ある 」 ふーむ。
sholaboさまの文章が心地よいのはなぜ ?  今思うに、それは虚飾がないからかと。
建前でなくご自分の本音で、決して相手をコントロールしようとする意図の含まれない文体のなかに、
安心感が見えているのかも・・無意識に。これは私のレッスン。飾らない素直な文章が書けるように。

ここでスリーピーさまに確認です、記事にも何にも関係のない「浮かんでくるまま」のコメントは、書いてもOKですかー?? ブログの妨げになってしまうかしら・・^^ ハッキリおっしゃってくださいね。
良い1日でありますように !!

柔軟がいいですね

スリーピーさまこんばんは !!

記事を拝見しようと伺ったら、shiolaboさまのコメントがあったので。
いつも横からごめんなさい・・・でも私ね、どうしても書きたかったの !
shiolaboさまの文章がよっぽど合うのか、ろくすっぽ本も読まない私がちゃんと読んでいることが奇跡なの。「聴かせる音楽」があるように「読ませる文章」がきっとあるんですね ! むずかしい事をやさしくていねいに書いてくださっているから・・? 何ごとも達観され、必要性の高い情報をタイムリーに、それも可能な限り理解しやすいよう、言い換えてくださっている事がありがたいです !! 

今回のお話しの中で印象的なのは、著作権についての定義。著作権とは、あらゆる人の独自の想像意欲をたかめるためのもの、という基本理念の記述にグッときました。また著作権における「著作人格権」とは、著作物の人格的独自性を「永遠に」保護する権利であり(コメントより)、絵画「モナ・リザ」の例をあげて解りやすく説明されていますが、これなどは、よくやってしまいそうな事ですよね。

興ざめでは ? と案じていらっしゃいますが、私自身は柔軟性とゆとりをもって楽しむためにも、法を知ること、情報を得て現状を把握することはたいへん有効なことだと思っています。わかりやすく書いてくださるので、こーんなナマイキ言っちゃってます(笑) ! 文章が読めるようになって幸せなんですもの! またあとで記事拝見させていただきます・・・ 読んでいただいて、ありがとうございます。           それでは、おやすみなさい・・。

先刻の補足。

スリーピー様

 業務がようやく終了したので、再び訪問しました。

 先刻の書き込みを読みなおしてみると、どう見ても<法の番人>づらになっています。これは当方には不本意なことです。事実をありのままに伝えたまでなのですが、このようなことは本来ならばファンサイトなどに書き込む事柄ではありません。
 当方は率直に言って、世の中法律がすべてではないと思っています。法律を万遍なく遵守すれば、万事解決とも思いません。いくら制度を整えてみても、不合理な点は必ず残ります。およそ人間のすることに完璧などありません。それに、世間は鬼や金の亡者ばかりではありません。当方から言うのもおかしいのですが、あまり堅苦しく考えることなく、なにごとも柔軟に対応していただければと思っています。

 それから、さらに率直にいわせていただきますと、法律にのっとって音楽配信をめざしたら、これはもはや一ファンが片手間にこなすようなことではなくなってきてしまいます。本格的に事業としてお考えなら、ジャスラックとの交渉などもそれなりに現実味を帯びたものになります。スリーピーさんが現在お考えのことが当方にははっきり見えてきませんが、どの程度真剣に取り組まれるおつもりなのでしょうか。

 もっとも一般的に行われているのは、サイト上に課金する仕掛けを用意しておいてダウンロードするごとに徴収するというものです。得られた収益を権利者にわたるように手続していれば、なんら法に抵触することはありません。現行法にのっとればこのような形式に落ち着きます。しかしこのようなかたちは、スリーピーさんが構想しているものとはかけ離れているはずです。

 当方が勤務していたのは、著作権の管理会社ではなく、著作権という観念を普及させるための出版物を刊行したり法律相談に応じたりする団体でした。著作権をめぐる世界には筆舌には尽くしがたい暗黒面もあります。しかしながら、著作権は基本的には<他人のフンドシで相撲を取るなよ>とよびかけ、あらゆる人の独自の創造意欲をたかめるためのものです。個別の事例を見ていると馬鹿らしいと思われることが多々ありますが、<決して他人のフンドシで相撲を取るな>という基本理念はなにものにも代えられないとても素晴らしいものです。

 しばらく以前に想足掲示板で投稿画像の大量削除ということがありました。その詳細な経緯は残念ながらわかりませんが、推測しますに、①画像の改変が行われている、②特定企業名が無断で用いられている、③(ドーモ君等の)「キャラクターの権利」を侵害している、といったことが問題であったのではないでしょうか。著作権侵害が問われるのはおもに①です。写真・映像の著作権は基本的には撮影者が持っています。ただし、その撮影行為がテレビ報道・映画制作などを目的とした職務としてなされた場合は、通常その撮影者が所属する企業(テレビ局・映画会社等)が権利を持ちます。写真の著作権は比較的軽視されがちで、ながらく公表後10年のみ権利保護されるという規定でしたが、1970年(真理さんデビューの前年)に法改正が行われ、撮影者の没後50年間保護されることとなりました。
 たとえ許可を得た上での使用であっても、作品を改変することはゆるされません。音楽で行われる編曲等は当然ながら原作者との交渉を経た上でなされています。
 著作権というものは、実は「著作財産権」と「著作人格権」とに大別されます。「財産権」は、著作物の財産的価値を保障するもので、作者の没後50年保護され、50年経過後は国の共有財産とみなされます。一方の「人格権」とは、著作物の人格的独自性を保護する権利であり、作者の意図に反した改変を防ぐためのもので、「永遠に」保護されなければならないとされています。わかりやすく説明しますと、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「モナ・リザ」を例にとりますと、この作品は当然ながら財産権としての保護期間ははるか昔に終了しておりますので、自由に使用できますが、ダ・ヴィンチの制作意図に反した改変は決して行ってはならないのです。たとえば、モナ・リザの顔をくりぬいて真理さんの写真をはめこむのは、著作人格権侵害に当たります。(これは芸術の尊厳を永遠に保護するために設けられた法制度です。)

 それから最後に、肖像権について簡単にまとめておきましょう。意外に思われるかもしれませんが、肖像権についての明確な規定はわが国の法律にはありません。係争となった事例の判例集積によって個々の裁判での判断が下されている現状であって、確乎たる法的権利としての「肖像権」が確立しているわけではありません。さまざまに濫用されている真理さん画像について「肖像権」侵害に当たるとして、真理さんご自身が原告に立って訴訟手続をとったとしても、いかなる法的判断が下されるかは容易に予想できません。

 またしても興ざめなことをながながと書き綴りました。
 著作権理解の一助となれば幸いです。

 

大切な情報ですね

4月1日より開始されたシステム(著作権情報集中処理システム)の名称は「Fluzo」(フルゾ)というのですね。音楽の権利処理の効率化を図る初の試みが試行されているわけですね。情報を知り、随時勉強していかなくては・・。

先日の書き込みを少々訂正。

 休み時間になったので、ちょっと訪問しました。

 4月21日「蜜蜂につられて」と題した書き込みのなかで、少々訂正があります。新しい情報を付け加えます。

 JASRAC と youtube との包括契約による収益が個々の著作権をもつ者に還元されない旨記しましたが、新しい動きとして下記サイトの記述を見つけました。


http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20090306_43199.html

 これによりますと、ネット上の配信における膨大な情報を管理する機構が今月本格始動した模様で、これにより個々の配信楽曲の権利者特定が行われることになり、権利者への利益還元がなされるものと予想できます。
 また、これに伴い、無断使用に対する排除等もより厳重に執行されるかと思われますので、心当たりの向きはそれなりのご覚悟を。

 なお、この新機構にはナベプロ会長・渡辺美佐も発起人として名を連ねています。

ミツバチの安堵

よかった・・。
私たちに尽くしてくださっている大切な方がいらっしゃる所に、あのコメントまるごと連れていっちゃうんだもの、どうしたらいいのー?って焦った^^; ちがう場所だから何気に書けることってあるから・・。
shiolaboさまのコメントの中で重要な部分を、必ずご了解を得て転用する形が望ましいですね。

想足BBS投稿を巡って

皆さま

この度は、想足BBS投稿を巡って、関係する皆さまに多大なご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます。

今更ながら、想足BBSという場が、真理さんのファンにとって、誰もが認める公式の掲示板になっていることを改めて実感しました。

今後は、少しだけ、書き込みに注意して参ります。とは言え、おっちょこちょいなスリーピー、またまた同じような間違いを犯すかもしれません。日々、反省の連続ですね。

プロフィール

スリーピー

Author:スリーピー
真理さんを応援するブログへようこそ!

真理さんは、私の姉のよう。
私はそんな おっちょこちょいな姉を想う、おせっかいな弟かな。

このブログでは、皆さんと彼女の真価をお伝えして参ります。

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